こんにちは
あづうです。
しばらくぶりのブログの更新です。
先日
以前から著書を読ませて頂いていた
能楽師の「安田登」さんの寺子屋に参加させて頂きました。
2時間という時間の中で
学び、気づき、驚き。
とにかく面白く
今私自身に必要なことを受け取らせて頂けました。
その中でも
観阿弥・世阿弥が残した言葉
の
「初心忘るべからず」
この意味が
解釈していた意味とだいぶずれていたこと。
本来の意味を聞いて
体感として感じていたことにもう一押し。
もう一歩深く腹に落ちました。
本来の意味とは。
初心の「初」という字は「衣」編と「刀」からできており、
元の意味は「衣(布地)を刀(鋏)で裁つ」。
すなわち「初」とは、
まっさらな生地に、初めて刀(鋏)を入れることを示し
「初心忘るべからず」とは
「折あるごとに古い自己を裁ち切り、
新たな自己として生まれ変わらなければならない、
その事を忘れるな」
という意味なのです。
(安田登著 能 650年続いた仕掛けとは 新潮新書 より抜粋)
この意味を
著者ご自身の言葉で聞かせて頂いて
より広く深く受け取らせて頂きました。
今
自分仕事の陶芸とはまた別に
信用信頼できる仲間と一つのお仕事をさせて頂いています。
その中で
自分仕事の陶芸も含め・・なのですが。
今までの自分はこうだった。
自分にはこれは苦手。
これはできない。
こうでなければならない。
いろんな過去の経験から積み重ねてきたものが
よきにつけ悪しきにつけ
いっぱいある。
それを
引っ張らずに
引っ張られずに
次の自分に
次の場所に行くか。
今までのやり方、在りかたでは何も変わらない。
進化したい、成長したいのだったら
今こそ
まっさらな自分ですべてのことに向き合わなければならない・・。
苦しくても
しんどくても。
それを体感しているときに
安田登さんの寺子屋で
この
「初心忘るべからず」の本来の意味を伝えていただき
からだの真ん中のところで
受け取ることができました。
「初心」とは。
変化、進化するための「覚悟」でもあるのかなと。
今回の「初心」の学びは
2時間の寺子屋の中の一部でしたが
私の中で
大きく鳴り響いて
点と点だったものが
線になるくらいの気づきとなりました。
ぜひ次回以降の寺子屋もワクワクしながら
参加させて頂きたいと思います。
今回の「安田登」さんの寺子屋を
企画、準備してくださった皆様。
素敵な時間を
豊かな時間を
ありがとうございました。